ニガウリのブログ

なんとかなるさ 62歳。

家族の紹介 祖母

今回は私の祖母をご紹介します


私の祖母は東南アジア系のハーフでした

長崎生まれの長崎育ち

同じくハーフの弟がいて、祖母とその弟はあまりにも異国の顔をしていたので、ご近所から酷いイジメにあったらしいです


どんな事情があったのかは分かりませんが、幼い時から両親がいなく親戚の家で育ったと聞いています


地元の女学校に通っていた頃、弟が自殺したと言うことは祖母から聞いています


看護師として働いていて、戦時中ハルピンに日本から派遣されたらしいです

そこで祖父と出会い結婚したと聞いています


祖母はハーフといっても殆ど日本の血は入っていないのではないかというほどの異国の顔面偏差値でした


看護師の姿をして写真に写る若い頃の祖母はまるでナイチンゲールのようで異国人です


とても厳格な人で一番厳しかったのは、清潔か清潔じゃないか、身の回りにはこの二択しかないという世界の中で彼女が生きていたことです


そんな彼女ですから一生懸命に家計を助けるために仕事をしてる最中に浮気をしていた祖父のことを許せるわけがありません

その時点でもう不潔の塊です


しかし、祖母は誰になんと言われようと祖父と別れることはしませんでした


変わった愛情の表現をする人だと私は幼い頃から彼女のことを思っていて、対面的にはただただ祖父をいじめているようにしか周りの人には見えないのですが、私が見る限り彼女は献身的に彼を支え、どんなにお金がかかろうとも祖父のテーラーのために店構えを立派にすることに力を惜しみませんでした


屈折した表現しかできないのは何か生い立ちに原因があるのかなぁと私はそう思っていましたし、私の母にもそう伝えていました


しかし、母親の兄弟達は誰も皆、頭や背中に大きな怪我を負っています

それは祖母が怒りのあまり逆上してしまうと物を投げつけるという習性があったからです


例えば私の母の後頭部にはたちばさみで殴られてしばらく血が止まらなかったという傷の跡がありました

そして、おばの頭にはレンガを投げつけられて、血を流した後だという傷が大きくあります


不思議なことに、私と私の弟は祖母の逆上するその様な姿を1度も見たことがありません


私の母親の事が不憫で、私と私の弟の事が不憫で、いつもいつも優しく接してくれました


他の親戚の人達には悪いのですが、私にとって祖母は身長が170センチ以上もあって、何を着ても足が長くすらりと格好よく、ただただ優しくて、必要以上にお小遣いをくれる自慢の祖母でした


私の母は祖母のこと………彼女の実の母のことを心から嫌っていました


母はいよいよ体調が悪くならないと、SOSを出さない人でしたから、子供の私達には何をすることもできません

そんな時、看護師の祖母に私はいつも連絡していました

祖母は仕事を投げ出して、いつも私たちのところにやってきてくれました

その時必ず祖母が言うのは「心配で心配で、電車の中を走りたいほどの想いでやって来た」

その一言でした

母はこの一言が大嫌いでした


この親子はどこでボタンの掛け違いをしたのか、私には分かりませんが、最後の最後までうまくいかない親子関係でした


屈折した愛の表現で、祖父を愛しく思っていたそれを証明する出来事が最後にありました


祖父が介護施設で眠るように亡くなった直後から祖母は食事を摂りませんでした


そんな様子を聞いて心配になり、祖母の施設によく顔を出していた私は  どうして食事をしないのか聞いたら

「あの人が生きていないのに、私が生きていく価値なんかないもの」

でした


祖母は弟に先立たれ、天涯孤独になって従軍看護師として異国の地に派遣された時に祖父と結婚してやっと天涯孤独から自分の居場所を見つけられたのではないのかなぁと私は思っています

自分の居場所を作ってくれた大切な祖父

その愛情をうまく表現できなかったのかもしれません


祖母の様子を見てくださっていた医者は栄養がたっぷり入った点滴を用意してくださいましたが祖母は点滴を引き抜き一切水分と食事を断り、祖父が亡くなって半年で息を引き取りました


私の母は祖母が亡くなる1年前に亡くなっていましたが、臨終に立ち会わせなかったことで激怒するかもしれないということで、親戚から亡くなったことを祖母に伝えていませんでした

祖母は亡くなる数日前、私に「あの子もう死んじゃってるんでしょ?」

そう言いました


私は認めませんでしたが、祖母にはお見通しだったようです

今から考えても嘘をついたことをとても後悔しています


どう見ても外国人にしか見えなかった祖母ですが、私の母はその片鱗は微塵もなく、こてこて日本人のおじいちゃんそっくりで「お地蔵さんみたいなお顔してますね」

よくそう言われていました (笑)


私は8分の1しか、外国人の血は入っていませんから、もうほとんど無いようなものです

ꉂ🤣𐤔


私と私の弟は大きな学校のお休みの度に祖父母の家に遊びに行って面倒を見てもらっていました


親戚一同は祖母が笑うところを一度も見たことがないと口を揃えてそう言いますが、私と私の弟は祖母が穏やかに笑ったりバラエティー番組を見て大声で笑ったり…

そんな姿を日常的に見ていました

そしてあまりにもかけ離れた出来事なので親戚の人達に言ったことはありませんが、祖母は夏と冬のボーナスの直後にある病院の親睦会でディスコで踊り疲れて朝帰りするのを何度も目撃しています  〈( ^.^)ノ


祖母は精神科の看護師長だったんです

そりゃあもちろん上司が楽しまなければ、部下だって楽しめませんもんね


私が大学受験でモヤモヤしていた時、祖母が「病棟にね、あなたと同じ年の女の子がいてね、起きている間ずっと手を洗ってるの

私はね、立場上、泣く訳にはいかないんだけど、どうしてだか、あなたと重なって見えてね、泣きそうになってしまうの

気持ちが壊れそうになったら、おばあちゃんに言ってね」

私の手を握りながら、祖母はそう言って涙を流していました


親戚の誰1人、祖母を好きな人は居ませんが、私と私の弟は祖母が大好きです


ずーっとずっと優しく接してくれた祖母に心から感謝しています

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