家族の紹介 祖父
これからたまに家族について記述していこうかなーと思います
私の生い立ちを書いていくと、ダラダラとした文章になるので、それぞれの家族を知ってもらった方が私の育った環境を理解してもらいやすいかなーと思ったからです
今回は家族と言っても私にとって母方の祖父母は欠かせない存在なので、まずは祖父から
祖父は洋服の仕立てを生業にしていました
出身は名古屋で祖父の家は今でも有名な呉服店です
そこの長男として生まれましたが、何しろ目立つこと一発当てて儲けたい、楽にお金を稼ぎたい
大人になってから、彼のことをそういう人なんだろうなぁと理解できました >人<
祖母とは戦争中にハルピンで知り合い、そこで結婚して母と三つ下の母の妹を連れて終戦後日本に帰ってきたそうです
家業を手伝うために、名古屋の実家近くに住んでいたらしいですが、誰も教えてくれませんが、何かをやらかして北海道に渡ってきたらしいです (。╥﹏╥。)
物心ついていた母や叔母は掘っ立て小屋のようなところでドアもなく、むしろがパタパタと のれんのようにはためくところで冬を過ごしたことを覚えているらしいです
北海道の冬っていうことを考えると、地獄です
ところが、しばらくすると祖父は砂利を運搬する運送会社を立ち上げ、とても商売がうまくいっていたようです
しかし名古屋で何かやらかした事を連想させますが、どなたかの連帯保証人の印鑑を押して破産し、商売を人手に渡したそうです
その頃、私の母は札幌ではわりと進学校で有名な高校に通っていたそうですが、高校を辞めざるを得なくなり、その頃には兄弟が6人になっていたそうです
母は17歳で家族を助けるために千歳にある自衛隊の売店PXというところで働き始めたそうです
祖父は名古屋にいた頃に身につけた洋服の仕立てを自宅で開いていたそうですが、終戦まもなく洋服を仕立てる人はそんなにいるわけもなく、商売はうまくいっていなかったようです
叔父わ叔母が大人になって祖父のことをいろいろ私に教えてくれますが、みんな祖父のことを悪く言う人はいません
たとえ死に物狂いで祖母が働き、長女が高校を辞めてまでも働いている間にいくつか浮気の現場も押さえられているようですが、本当に誰も祖父のことを悪く言いません
働きたくないし、働かないダメな男の人ですけど、人間的にはとてもチャーミングで底抜けに優しくて憎めない人なんです
私が大学生になってボタン一つ取り替えることができなくて、祖父につけてもらいに行っても2つ返事であっという間にボタンを付けるだけでなく、ちょっとだけ洋服の形をアレンジして全くデザインの違う洋服を作ってくれました
その頃だと思います
「おじいちゃんねー、大道芸人になりたかったんだよ」
そう、私に言いました
ちゃんとした大人じゃなかったかもしれないけど「自分が楽しいと思うことだけやってれば、どんなに辛いことがあってもきっと大丈夫だよ」とも言っていました
何とものんきな祖父でした
私と弟は高校生の頃まで夏休み、冬休み、春休みは札幌の祖父母の家に遊びに行っていました
日中は祖母が仕事で出ているので、家で仕事をしている祖父は何をしているかというと
夏はびっしり甲子園の野球を見て、冬は私達を連れてご飯を食べに行ったり、街の中に買い物に連れて行ってくれたり、祖母からお小遣いを貰って色んなところに連れて行ってくれました
そして春はびっしり甲子園の野球を見ていて、どの休みも祖母が帰る頃にはみんなで家中を掃除して何も無かったかのように仕事から帰って来る祖母を迎えていました
自宅でテイラーを開いても生地が増えていくばかりで、お客さんを見たことは数回しかありませんでした
お酒が大好きで夜寝る時はトイレに行くのが面倒だと言って、随分若い頃から枕元にお水と尿瓶を置いて眠るようなものぐさな人でもありました
可愛らしい祖父でしたが78歳でパーキンソン病による誤嚥肺炎で亡くなりました
私たち姉と弟が休みの度に祖父母の家にお世話になったのは病気の母に子供たちのことで体を使うことなく時間を過ごさせるためだったと思います
おじいちゃんとおばあちゃんだって家でゆっくりしたかっただろうに…
心から感謝しています